本 名 … 南舘達朗(みなみだて たつろう)
生年月日 … 1978年8月23日
出身地 … 神奈川県海老名市
血液型 … O型
職 業 … プロ料理人として「青空レストラン」「幸せ料理教室」の開催を主軸に活動。
食育講師・料理家・料理研究家・食整体療法師・栄養学研究家・著作家としても全国を精力的に
飛び回り、メニュー開発やレシピ提供の依頼なども幅広く手掛けている。
レストランオーナー・店長などの管理職経験も豊富であり、治療院での食のアドバイスを
促した整体治療や大手社員食堂・介護老人保健施設での厨房業務経験、大手ケータリング会社から
引き抜きのオファーがかかるなど、プロ料理人として多彩な経歴を持つ。
役 職 … 食育推進活動クラブ「あおぞらsyokuくらぶ」創始者
「R PEACE HAIBISCA」(アール・ピース・ハイビスカ)代表
「料理学校 達朗シェフの幸せキッズクックスタジオ」代表
受賞歴 … 一般社団法人アジア・日本優秀企業家連盟(AEEFJ)主催
「ASIA GOLDEN STAR AWARD 2017」
社会貢献者賞受賞
著 書 … 「あおぞらひまわり」
発売日:2016年7月7日/出版元:Amazonkindle
活動実績 … ふるさと納税サイトに出荷する商品のレシピ開発に従事(2017年~)
「与論島の料理人」として与論島内を中心に食育活動(2015年~)
与論島内や県外を中心に食育推進を目的とした「達朗シェフの青空レストラン」を開催(2015年~)
三原村役場より地産地消を目的とした商品開発・監修に従事(2017年~)
地産地消と食育をテーマに「すくもキッチン~達朗シェフの食育フェスタ2016~」を開催(2016年)
キッズ料理コンテストの審査員長に任命(2017年)
「ワヲンカフェ」10周年記念パーティーのシェフを担当(2015年)
薬草薬膳研究家の山悦子さんと島の健康食品を目的とした薬草のドレッシングを発売(2017年)
プロ育成を目的とした個別指導の料理教室を開講(2014年~2015年)
子供や親子を対象にした親子料理教室を各地で開催(2015年~)
与論町B&G海洋センターのサマーイベントで小学生を対象にピッツァの作り方を指導(2018年)
小学校を訪問しての食育を題材にした読み聞かせ授業(2018年~)
「達朗シェフの青空レストラン &Y's445 吉田美子〜料理とBagのCHEMISTRY in 名古屋〜」(2016年)
「那間こども園」主催でおにぎり教室を開催、園児に調理指導や食育授業(2017年)
美味しい味・優しい味をテーマに、心豊かにする料理教室を開催(2011年~)
子育て支援の一環として料理教室や食育を題材にした読み聞かせ会を開催(2018年)
生産農家との地産地消を目的とした野菜のデザート等を発売(2017年~)
プロシンガーとのコラボイベント、料理と音楽を奏でたディナーショーを開催(2012年)
ワインと料理の魅力を推進することを目的とした「ワイン会」を開催(2010年~)
農業者団体「宿毛4Hクラブ」と共に市長や後援者を招いた青空レストランを開催(2016年~2017年)
島の魅力を目的として開催された「島においでよ!」でフィナーレディナーのシェフを担当(2016年)
「与論町立茶花小学校」で調理実習授業に従事(2019年)
※その他の活動実績は活動履歴からご覧ください。
略 歴
神奈川県出身、町田調理師専門学校卒。調理業界歴30年。 シェフ歴20年。(2024年現在)
旅に訪れた鹿児島で、鹿児島の食材の豊かさと美味しさに感銘を受け、神奈川から移住。鹿児島の飲食店で10年の修行を積む。その後独立を志すも、「鹿児島の食材の美味しさを県外の人にもっと知ってもらいたい」との思いから地元神奈川での出店を決意し、帰郷。神奈川県海老名市で「キュイジーヌ・ユトラベ」をオープンする。
鹿児島の食材を使ったイタリアンを中心とする創作料理で評判の人気店となるが、生来の妥協を許せない性格が災いし、激務を重ね続けた結果、自らの体調を崩してしまう。
今まで当たり前だった「料理をすること」ができなくなった時、改めて「料理とは何か?」という原点の問いの答えを探し求めるようになる。
「料理とは、人間が生きるために必要なもの。人生の楽しみの源にあるもの。食べる人の幸せな笑顔が見たくて料理人を志したのに、自らが幸せにならずに人を幸せにできるはずがない。」
一つの答えに辿り着いた時、目に浮かんだのは鹿児島の景色。妻の故郷である美しい与論島の海。
思い立ったら即行動に移さなければ気が済まない性格が幸いし、与論島への移住を決断。
「料理は大自然からの授かり物。」
原点に戻った料理人が、料理を通して食の美味しさ・大切さ・有り難さを、より多くの人に伝えたいという気持ちを胸に込め、今日も厨房に立つ。
「料理ができる」幸せに感謝しながら…
etc
<アスリート時代>
父親の指導の下で小学時代から本格的に陸上選手のトレーニングを開始。
小学時代は5・6年生の持久走大会で2位との圧倒的な差をつけて1位を獲得。
中学時代は体育祭で3年間1500メートル走1位を獲得。
積極的にマラソン大会に出場し上位入賞で表彰。
高校時代は中長距離選手として活躍。学校内の持久走大会では2年連続優勝。
南房駅伝大会や千葉県で開催された高校駅伝予選大会に出場。
県外のマラソン大会に積極的に出場を果たす。
福島県内で開催された大会で高校生10Kの部で上位入賞で表彰。
静岡県内で開催された大会で5Kの部で上位入賞で表彰。など
1991年、大和市で開催された元旦マラソン大会で小学生2Kの部で銀メダルを獲得。
1993年、厚木基地内で開催された「綾瀬ローズマラソン」で中学生5Kの部で優勝。
1994年、大和市で開催された元旦マラソン大会で中学生3Kの部で銀メダルを獲得。
2014年、海老名市が開催した「えびな健康マラソン大会」3Kの部で総合優勝。
2015年、海老名市競争駅伝大会で区間賞授賞。同大会で自治会の部優勝に貢献する。
高校卒業後は自主トレーニングを積み重ねた後に、県外での大会に積極的に出場しては上位入賞を飾り表彰。
現在はアスリート時代を活かし、食を通しての栄養学や自身の経験から基づいた実践式トレーニング方などで、良質な筋肉づくりや体調管理、ダイエットに精通した適切なアドバイスを相談者に促している。
<バイカ―時代>
23歳の時に日本各地を約4ヵ月バイクで旅をする。
2001年~2003年までバイカ―チームのリーダーを務める。
当時は、神奈川・新潟・岩手・大阪・高知・大分・鹿児島に支部を置き活動。
[趣味]
料理・バイク・映画・有酸素トレーニング・栄養学の研究
幼少の頃から料理人になることが夢でした。
小学生の頃は「ラーメン研究」に没頭し、家庭訪問で訪れた担任の先生に自作のラーメンを食べてもらったこともありました。
学生の頃から食品会社や飲食店でアルバイトをし、町田調理師専門学校を卒業後は地元の神奈川県や九州の鹿児島県の飲食店で料理人としての修行だけでなく、ホールの接客から飲食店経営のノウハウまで、多くのことを学びました。
2010年に悲願だった自分のお店、イタリアンレストラン「キュイジーヌ・ユトラベ」を地元神奈川県海老名市でオープンしました。
お店を持ってから体を壊すまでの数年間は、まさに全力疾走でした。
脇目も振らずメニューを考え、料理を作り続ける日々。
その代償として体を壊し、料理ができなくなった時の喪失感は、例えようのない絶望でした。今までの人生で一番の挫折。
精神までも病み、本気で死のうと思ったことも何度もありました。
でも、そんな自分を見捨てることなく支え続けてくれたのは、愛する妻と息子。
…こんな所で終わるわけにはいかない。
病院でも治療が不可能なら、自分で治してやろう。
そう決意して整体の学校に通い、整体師の資格も取りました。
リハビリも兼ねて少しずつ簡単な料理ができるようになった時、ふと思いました。
「料理って何だろう」
こういう話をよく聞きます。
「愛する人が作ってくれたのなら、カップラーメンでさえ、いつもよりずっと美味しく感じる」と。
今まで、良い食材を仕入れ、いかに凝った料理を作るか、そんなことばかり考えて料理をしてきました。
料理の技術を追い求めるあまり、愛情を置き去りにしてきたことに気が付きました。
そうだ、料理教室を開催しよう!とその時にひらめきました。
愛する家族に美味しい料理を作ってあげたいと願うお母さんやお父さん、子どもたちに、自分がこれまで培ってきた料理の技術を伝えることができれば、それはきっと世界で一番美味しい料理になる!
もう飲食店で、厨房に立って何十皿、何百皿という料理はできないが、これなら自分にもできるはずだと思いました。
そこから現在までは、まるで何かに導かれるように突き進んできました。
地元神奈川で数回の料理教室を開催して手応えを掴んだ頃、どうせなら料理教室にあまり馴染みのない地方で開催してみたいと思うようになりました。
料理に一番大切な要素は愛情だと改めて悟ったことで、もっと人と人との繋がり、温もりを感じたいと欲が出てしまったという面もあります。
向かった先は、妻の生まれ故郷である、鹿児島県最南端の離島、与論島。
エメラルドグリーンの海に囲まれた南国の島、人口約6,000人のこの美しい島で、「青空レストラン」と「幸せ料理教室」を開催しています。
※現在、与論島から拠点を移し、東京・神奈川・関西地方を中心に全国で活動。
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